徳川家康が尊敬する源義家ゆかりの神社「武野(たけしの)神社」新座市

エリア&駅 埼玉県 新座市 野寺 
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みなさんは今年の初詣(はつもうで)はどちらに参拝しましたか?

新座市にはさまざまな神社やお寺がありますが、今回ご紹介するのは、2023年大河ドラマ「どうする家康」の主人公・徳川家康が、名前を元康→家康にあらためるほど尊敬していたという、源義家(みなもとのよしいえ)ゆかりの神社「武野神社」です。

源義家は八幡太郎義家とも呼ばれ、徳川家康だけではなく、みなさんご存知の源頼朝や足利尊氏からも理想とされた人物だったようです。どんな人物だったのか、どのような言い伝えがあるのか気になりますよね。

「武野神社」の本殿の向きはなぜ北向きなのか

源義家は、源頼朝から数えて5代先祖にあたります。平安時代後期に活躍し「弓矢の神」としてあがめられるほか、中学の教科書では「前九年の役」「後三年の役」で登場します。

東日本に勢力を広げる奥州征伐(今の東北地方)の際にこの武野神社に立ち寄り、本殿の向きを東北地方に合わせて北向きに変え、戦勝祈願をしたと云われています。戦いに勝つために、神をも味方にしたいという覚悟が伝わりますね。

実は私は、「前九年の役」の舞台となった岩手県盛岡市の出身で、今でも残る地名「前九年町」や「厨川町」の学区内にいました。その当時勢力を拡大していた豪族の安倍氏の数々の言い伝えを聞いたり「厨川」の戦場跡などを間近に見ていたため、少し複雑な気分になるとともに、今はここ新座市に住んでいる、ということにとても不思議な縁を感じています。

自然豊かな「武野神社」の悠久の歴史に想いを馳せて

「武野神社」は八幡山と称される丘陵地に鎮座しています。入口から続く石段を昇ると、周りには樹木が生い茂り、鳥の鳴き声や木々の騒めきが聞こえ、たちまち辺り一面の空気が変わるような不思議な雰囲気を感じることができます。

お正月の三箇日は混み合うため、三箇日を過ぎたころに訪れました。この日は十数名ほどが参拝していました。

参道を歩くと、間もなく「女坂」「男坂」の標識が。「女坂」の緩いカーブとなだらかな階段、「男坂」の幅広く急な階段、この「分かれ道」ですがみなさんはどちらを選びますか?私は今回「女坂」を昇りましたが、「男坂」も急勾配ながら十数段の階段ですので、息が上がる前に昇りきることができるかもしれません。

階段の頂上に昇ると、そこには木々に包まれるように本殿が鎮座していました。小ぶりながらもこの重厚感と存在感は記憶に残ります。

武野神社の創建年代は不詳とのことですが、康平6年(1063)には社殿を修復して北向きに建てたとのことですので、一千年近く前の建物ということになります。この千年の間の出来事や、多くの人の願いを想像し思いを馳せながら、しっかり私もその一員として、参拝させていただきました。

本殿の他にも周りには、稲荷神社やいくつかのお社が鎮座しています。

古くから魔除けや安産、また戦いの神として信仰される

源義家は「前九年の役」後、奥州での「後三年の役」に介入し大活躍をしましたが、朝廷からなんの報償もなかったことから、それならと家来に私財を投じて褒美を分け与えたそうです。

それを聞いて私は、戦に対しての「勇猛さ」だけでなく、仲間の労をねぎらう姿勢にも深く感動しました。のちに義家は「武士之長者」と言われ武士の信頼を集めたそうです。徳川家康や源頼朝、足利尊氏など数々の名将から「英雄」として尊敬されていたのもうなずける気がします。

武野神社は、古くから魔除けや安産としてだけではなく、源義家の奥州征伐にちなんで、戦いの神として信仰されているとのことです。

ちょうどこの日は「厄年・戌の日表」がありましたので掲載します。
人生の節目の年にあたる方や、安産祈願の参考にどうぞ。

お近くにお越しの際は、「武野神社」に立ち寄り、悠久の歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

武野神社(たけしのじんじゃ)
住所:埼玉県新座市野寺3-11-34
アクセス:西武池袋線ひばりが丘駅より徒歩20分
西武池袋線「ひばりヶ丘駅」バス停留所より、北朝霞駅行き/志木駅行きに乗車(所要時間4分)
「火の見下」バス停下車徒歩7分
TEL:042-420-5787
駐車場:あり(第一駐車場:4台/第二駐車場:7台)

※記載情報は取材当時のものです。変更している場合もありますので、ご利用前に公式サイト等でご確認ください。
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